普通は~だけど、…なのはへん

 話し合いの机にし、国語の教科書だけ用意させました。そして、私が「一つの花」を読んでいくなかで、「普通なら~だけど、…だからへんだ。」ということがあれば、挙手して発表していくのです。

「一つだけちょうだい。」
 これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。

「普通の赤ちゃんなら「一つだけちょうだい」っていう言葉を覚えるのは難しい。」とAくん。このように、へんなことを出させ、それをへんだと思わない人にはその理由を発表させていきます。これは全員がへんだとしました。

 毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。
 町は、次々に焼かれて、はいになっていきました。

「普通は毎日ばくだんを落とされたら、ゆみ子の家もはいになると思うので、はいになってないからへんだ。」とBさん。
「毎日やけど、町はやから、ちがうところにばくだんを落としているから。」
「ということは、ゆみ子の家は町じゃない。」
 ゆみ子の家は町から離れたところにあるのです。だから、お父さんが戦争に行く日、遠い駅まで歩いていくことになるのです。
 このように、へんなところを検討していくと書いてないことが見えてきます。

 ゆみ子は、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、
「一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」
と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。

「普通はおにぎりだけど、おじぎりなのはへん。」
「赤ちゃんやから、これでいいと思う。」
「普通は、ゆみ子をおにぎりが入っているのは知らないと思うけど、知らないのはへん。」
「お母さんがかばんに入れてるところを見てたからへんじゃない。」
「普通は一つだけって言っているのに、みんな食べているのはへんだ。」
「一つだけちょうだいしか言われへんから。」
「一つだけちょうだいって言って、最初に1つだけあげてて、もっと食べたいから全部食べた。」
「ここに何個おにぎりあるか書いてないから。」
「ゆみ子は一つだけしか覚えてないから、一つだけちょうだいを何回も言ってパクパク食べてしまった。」

 駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から、ときどきばんざいの声が起こりました。

「普通は、戦争に行くから悲しいのに、ばんざいをしているからへん。」
「戦争に行って、戦争を止めてくれるからばんざいしてる。」
「ばんざいは、がんばれっていうか、勝ってなという励ましやから。」
 ここは、私が補足しました。
「このころは、戦争が反対だと言えない時代だったんですね。そんなこと言う人がいると戦争に負けちゃう。縁起でもないこと言うな。っていう感じ。それで、戦争に行く時も、万歳やらないといけなかった。喜んで行くっていう感じで行かないといけない。悲しい顔をしたら、おまえは戦争に行くのが嫌がってるのか、ということで、捕まったりするんですね。」
「え~。」と声が子どもらからあがりました。意外だったのでしょう。
「普通は、ばんざいの声が聞こえてきましたなのに、起こりましたなのはおかしい。」
 起こりました、という言葉の使い方を考えてみたいです。

 ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。

「前の時でみんな食べてしまったのに、なんで言ってるのかが分からない。」
「ゆみ子はまだおにぎりがなくなったと知らない。」
「さっきおにぎりがなくなりましたと書いてあったけど、ゆみ子は赤ちゃんやからおにぎりがなくなったと知らなくて、知ってたとしても赤ちゃんやから記憶に残っていない。」
 発言する子が固定化されてしまうのが、ネックになりますね。

(2009.1.25)