氷山の下を読む

 ホラー小説である「リング」や「らせん」を書いた鈴木光司氏が、次の文章を書いています。

 サルトルの超緻密な思考力に触れて、イメージしたのは氷山でした。表現された言葉の裏には途方もない量の思考が埋もれていて、理解するということは、水面下にあって目に見えない膨大な量の氷に手を伸ばし、触れることなのではないかと、メタファーとして氷山を思い浮かべていたのです。
 そして、海の下に沈む膨大な思考を類推し、理解することが「読む」という行為であるとするなら、「書く」という行為はその逆でなければならないと考えました。物事をなるべくクリアに考えて氷山全体を大きくすれば、自然に海の上に氷は顔を出す。それがつまり表現ではないのかと。
                    鈴木光司『なぜ勉強するのか?』(2006.12.26 ソフトバンク親書)

  氷山といえば、岸本裕史氏が提唱していた見えない学力です。水面下にある膨大な量の氷が見えない学力であり、それらが見える学力を支えてると、岸本氏は言われたのです。哲学者サルトルの言葉の水面下に、膨大な量の思考が隠されていると、鈴木氏は言っています。
 その隠された思考を類推し理解することを「読む」とするなら、簡単に「読めた」とは言えなくなってしまいますね。

(2015.1.15)