学力研のニュースを書き終えました。今日が締め切りです。
☆高学年の学級開き・授業開き☆誰もができることを徹底させる
様々な火種をはらんだ高学年、実り豊かな高学年
どの学年でも様々な問題が起こる。けれども高学年のトラブルは、根が深く、解決に手間取り、学級崩壊にもつながる危険性を持っている。
学校全体に関わる行事も多く、日々の多忙に子どもも教師も振り回され、日々の鬱積が問題として、一気に噴出することもある。
それゆえ、高学年を持ちたいと希望する担任は、少ない。
しかし、高学年だからこそできる豊かな実践があるのも確かである。
現在、私は6年生を担任している。3学期に宮沢賢治の「やまなし」を授業した。子どもたちの発言を一部、抜粋する。
「かわせみは、恐怖を象徴しています。子がにが「こわいよ、お父さん」と、二匹 とも言っていたし、「魚はこわい所へいった」と父も言っていたからです。」
「かわせみは、えんぎ悪いことを象徴しています。人間から見ると、えんぎの悪い 鳥は、カラス。でも海にいるものはカラスのそんざいを知らないと思う。だから、 かわせみは、海のカラス的なものというのを表しているのかもしれないと思った からです。」
「かばの花は、こわいことを象徴しています。人間でいったら、天国に花が咲いて いるようなもので、魚が上へのぼっていなくなってから、かばの花びらが流れて 来たから、カニのお父さんが「ごらん、きれいだろ。」と言ったのに、カニの子 どもが「こわいよお父さん」と言ったからです。」
やまなしで出てくるものが何を象徴するかを検討したところである。
このような難しい問いに対して、自分の意見を持てるのは、高学年だからこそといえる。大人顔負けの意見を出せる子が続々出てくるのが高学年なのである。
指示の無視は学級崩壊の前兆
様々な火種を消しながら、実り豊かな高学年の実践をするために、どのような学級開き・授業開きをしていくべきだろうか。様々な方法がある。しかし、多すぎる方法は、使いこなせず、かえって混乱をまねく。あえて1つに限定することが大事なのだ。
私のこれまでの経験から、次の1点をお勧めする。
易しい指示や問いを出し、それを徹底させる。
言葉をかえれば、「誰もができることを徹底させる」ということだ。
例えば、整列の「前なれ」なら、全員に「前なれ」をさせる。ただ、手を前に挙げるだけだ、誰でもできる。この誰でもできることをやらない子は、いずれ、他の指示をも無視するようになる。
この時、難しいことを要求してはだめだ。
「集会中、一言もしゃべってはいけません。」
こんなことは徹底できるわけがない。徹底しようとすれば、無理が生じてしまい、「やってられるか」となってしまう。
易しい指示を徹底させることで、「教師の指示には従わなければいけない」というルールを学級の中に、見える形で作っていくわけである。多くの学級の荒れは、教師の指示を無視するところから始まっていくのだから。
全員参加できる授業を目指して
授業も同じである。易しい問いから授業を始めていかなくてはいけない。
まずは、誰もが答えられるような問いを出す。できれば、答えが一つではなく、多様な答えがあり、どれもが正解になるような問いがいい。
「リーダーにふさわしい人は、どんな人ですか。」
「工場で作られるものに、どんな物がありますか。」
選択型の問いもいい。どちらかを選ばせてから理由を考えさせるといい。
「大昔の地球、最初に上陸したのは、植物ですか、動物ですか。」
「国会・内閣・裁判所の中で、一番えらいのはどこですか。」
(上記2タイプの発問については、拙著『2つの発問で組み立てる授業』(フォーラム・A)に詳しく載っている。ご参考あれ。)
くれぐれも挙手指名方式の一問一答は、あまりしない方がいい。
一部の子のみが発言するような授業を続けると、「おれは何もしなくていいんんだ」と思い、授業に参加せず、手遊び・おしゃべり・落書きをする子が増えていくからである。
様々な実践が教育書やホームページなどに紹介されている。
名文音読・カルタ・会社活動など、子どもに力をつけ楽しい実践も多くある。
行事の後、子どもたちは荒れの兆候をしめす。そんな時に、楽しい実践を投げ入れたりする。でもそれは、「易しい指示や問いを徹底させる」ことを骨格に位置づけながらである。実り多い教師人生を築いていってほしい。
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以上です。危機感をあおる形で書いていますが、実際に経験してないと、高学年の怖さというものは、本当の意味では分からないでしょうね。
(2011.2.19)