昨日、3年2組で、少しだけ挨拶をした。
まず、漢字で名前を「荒井」と書いていくと、子ども達が口々に、つぶやきながら、「あらい」やと言う。
『そう、じゃあ、これはなんて読むかな?』
と言って、「賢」を書いた。
『当てずっぽうでもいいから、言ってごらん。』
手をあげる子を当てていく。
「○○」『えらい。よく読めたね。…でも違う。最初に言うって、勇気がいるからまちがっても、とってもえらいです。』
「そう」『そう!…でも違う。どんどん間違えてもいいんだよ。教室は間違えるところです。』
「けい」『すごい。「け」が合ってます。』
「けん」『当たりです。えらい。…でも、今までみんなが間違えたから、こうして正解したんですよね。』
自己紹介で、教室は間違えるところだ、ということを少し主張できた。
『みんなに聞いてみたいんですが…』少し子ども達がざわざわしていたので、私は話すのを止めて、少し待った。
ざわざわ状態で話す、ということは、何も言わないこと以上に、よくない結果を生み出すものだ。
やがて、シーンとなったところで、続きを話す。
『国語・算数・理科・社会・音楽・体育・図工と、いろんな教科があります。
その中で、算数が好きな人?』
8人ぐらい手があがる。
『ちょっと嫌いだな、という人?』
10人ぐらいか。
『まあまあ、普通っていう人?』
8人ぐらい。
『めちゃ嫌い、っていう人?』
ここで10人強ぐらいが、力いっぱい手をあげていた。
このことを体育でも聞いた。「めちゃ好き」が結構いた。「嫌い」も数人あり。『先生は、めちゃ嫌いが多い算数と、めちゃ好きな人が多い体育を教えます。
めちゃ嫌いな算数の時は、先生のことも嫌いになっていいけど、めちゃ好きな体育の時は、好きになってください。
でも、算数も体育も好きになってもらえるよう、がんばります。』
算数では、結構、きびしくいくぞ、ということをほんわか話したわけである。 いよいよ月曜から、授業が始まる。
(1999.4.10)