間違いを恐れない

 4月の学級開きにも、たくさんの実践があります。
 あれこれ探しすぎると、どれをやればいいかわからなくなります。
 また、実践というのは、その人のタイプにあったものをたいていされています。それゆえ、いろんな人のいくつかの実践をまぜてすると、多重人格的になってしまいそうです。
 そこで、今年は一人の実践家を決め、その人のやり方を追試していこうと、決めました。誰にしたかというと、伴一孝先生です。
『教室ツーウェイ2000.4 №209』(明治図書)の学級開きを以下に、視写します。(視写して、コピーして、インファキャリーに取り込むのです。)

 伴一孝「趣意説明」を含有する授業を行う。」より
(前略:荒井)
  メッセージ:「間違いを恐れない」
 黒板に「0」を書く。
 子どもたちも、ノートに写す。
「0の意味を、ノートに書いてごらんなさい」と言って、しばらく時間をとる。
「発表してくれる人?」
 これで手を挙げたのが、17名だった。
 一人ずつ発言させる。
「何もない」
「位に一つも数がない」
「部屋の中が空だ」
 このように、次々と意見が出された。全て正解であるとほめた。
 問題は、手を挙げなかった18名である。
 この18名を立たせた。
「なぜ、手を挙げないのか」と尋ねた。
 一人も答えない。
「間違えると恥ずかしい」と思ったのだろう。
「そういう気持ちである限り、君たちは成長できない」と話した。
 教室の空気が、ピンと張りつめた。

 どんな発見や発明も、間違いを繰り返すことによって成し遂げられてきた。
人間の歴史は、その繰り返しだ。
 例えばエジソンは、電球を発明するのに何回間違いを繰り返したと思う?

 子どもたちは、口々に「36回」「140回」「1000回」等と言う。
「エジソンは、電球の発明だけで、20000回も間違いを繰り返したんだ」と言うと、子どもたちは驚きの声をあげた。

 もしエジソンが、1000回の間違いであきらめていたとしたら、電球は発明されていなかった。
 もしエジソンが、10000回の間違いで“もうだめだ”と思っていたとしたら、人類はまだロウソクの明かりで生活していたかも知れない。
 自動車の発明だって、飛行機の発明だって同じだ。
 間違いや失敗を恐れずに挑戦を繰り返したからこそ、人類は進歩してきた。

 子どもたちは、しんとして聴いていた。
「教室は、間違える子のためにこそある」
「間違いを恐れる子は、教室に必要ではない」
 子どもたちの目つきが変わった。

(2001.4.4)