いじめとの戦い・第1戦

 学級の中に、昨年いじめにあっていた子がいる。
 それゆえ、始業式に「いじめは許さない」という話をした。
 今週の月曜日の道徳で、「いじめとは何か」を授業し、全員に、「いじめについての自分の考え」を書かせた。
 その意見を学級通信3号に渡って、全員分、紹介している。
 さらに、その全文を渡しが読み、簡単なコメントをしていってる。
 これは前哨戦である。いじめはダメだという共通認識をクラス全員の元のするための先手である。
 今日、2件の行動を取り上げた。
 1件目。昨年いじめにあっていた子Aが通る時、Bが足をひっかけたのである。
 Bを前に立たせ、足をかけることで大きなけがにつながる可能性があること、そんな自体になった時、責任をとるのは親であることを話した。そして、Aに謝らせた。
 2件目。家庭学習記録表のカードをCが各机に配布した。そのとき、Aのカードだけ、Aのロッカーの中のランドセルの下に入れた。Aがカードを探している時、Cが「隠せ、隠せ」と言って、Bは自分のカードをさもAのカードのようにして自分の机の引き出しに入れた。
 全員の机の上にあるものを片付けさせ、BとCを前に立たせる。
「Aの家庭学習記録表をロッカーに入れたのは、なぜですか。」
「遊びで。」とC。
「遊びだったら、いいのか。遊びだったら、筆箱隠しても、靴隠してもいいのか。」
 クラスの数人に、このことをどう思うかも聞いた。
「あかんと思う。」
 隠すふりをしたBも追求。
「足をひっかけられたのもAくん、記録表を隠されたのもAくん、これって、お かしくないですか。」
今回の戦い、絶対、私が勝てる戦いである。
 BとCの行為は、あきらかに間違っている。
 軽い気持ちでやった中に、あきらかにAに対する差別があると、いってもいい。
実をいえば、私はこのBとCに感謝したいぐらいである。
 よくぞやってくれた。
 いじめについて学級通信で取り上げているこの時だからこそ、実際のいじめの場面を取り上げた指導が効果を為すからである。
 理想論的ないじめはいけないだけでは、いじめはなくならないことを実感できるからである。いじめをすると、このように前に立たされ、全員の場で追求されるということも、示すことができたのである。

(2010.4.22)