制約から生まれる知的な活動を

 学力研ニュースの原稿が出来ました。結構、悩みました。
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 ブリンカーを知っていますか。
 競走馬が顔の横につけているものです。遮眼革ともいいます。
 馬の視界の一部を直接さえぎることで、周囲からの影響に惑わされず、馬の意識を競走に集中させる。そのためにあります。
 学級開きから一ヶ月は、子どもたちに、このブリンカーを着けさせた状態ともいえます。
 担任は、学級生活や授業でのルールを事細かく趣意説明もまじえて、これまでに教えてきたはずです。
 子どもたちは、新しい環境になり、自分がどう動いていいか迷います。
 そんな時に、担任に学級での在り方を教えてもらうことで、日々を快適に過ごすことができたのです。
 でも、一ヶ月も経てば、ブリンカーをはずしたくなるのです。
 学級で守るべきルールを破ってみたり、やった方がいいことをやらなかったりしてくる子が出てきます。
 揃えるように言っていた靴箱の靴が、乱雑に入れられたりします。
 筆箱に学習に必要のないキーホルダーがついていたりします。
 禁止していたシャーペンを使っている子が出てきたりします。
 このような小さなルール破りを見逃すと、学級は加速度的に崩壊へ向かっていきます。

一、叱る必要はない。指摘すればよい。
 まずは、ルール破りの子を見つけることです。
 子どもが散髪に行ったかどうか分かるようなら、大丈夫、見つけられます。
 例えば、シャーペンを使っている子を見つけたとき、次のようにします。
「新井くん、起立。」
 まず、ルール破りをした子を立たせます。
「なぜ、立ってもらったか分かりますか。」
「シャーペンを使っているからです。」
「その通りです。よく気付きましたね。」
 別の子を一人指名して聞きます。
「平沢さん、シャーペンはこのクラスで使っていいことになっていましたか。」
「なっていません。」
「そうだね。新井くん、シャーペンをもう使わないなら、座りなさい。」
 叱る必要はないのです。指摘し、ルールを確認するだけでいいのです。
(ただ、反抗的態度を取るようなら、クラス全員を教師側につけ、厳しく指導しないといけなくなります。)
 ルール破りは、学級の危機だという意識を常に教師は持っておくべきなのです。

二、自由度を高めつつ、制約する。
 教育は調教ではありません。
 いつまでもブリンカーをつけさせているような指導を続けていてはいけないのです。
 学級開きから一ヶ月。自由度を高めます。
 自由度を高めるといっても、いきなり大草原に子どもたちを放してはいけません。
 イメージ的には、牧場の中で自由にすごさせるという感じです。
 自由度を高めつつ、制約するわけです。
 六年生の学級で、学習会社を作らせたことがあります。
 普通の会社活動(係り的活動)は、好きなメンバーで、ダンス会社やクイズ会社などを作り、自分たちが楽しみ、クラスのみんなにも楽しんでもらいます。
 でも、学習会社は、学習関係限定の会社活動です。
 右記のプリントは、計算会社の子どもたちが作ったものです。
 一年~六年までの計算問題をプリントにして何枚も出していました。給食時間に全員プリントを配り、そして丸付けして、結果を発表してから返しています。何人中何人が百点かを言うわけです。計算のさかのぼり学習が行われたわけです。

 漢字会社の当て字問題です。
 レベル1とかレベル2とかがつけられています。はっきり言って難しいです。回答が少ないので、プリントの中にヒントも書き込むようになりました。例えば海馬なら「海遊館でショーをやってる生物」という具合です。

 その他、偉人会社は歴史上の偉人に関する問題を出し、算数難問会社は難しい文章題を出します。歴史会社は、歴史クイズではあきたらず、歴史新聞まで作ってしまいました。
 総合の時間や学活の時間、授業の終わり十分間などを使わせていくと、そのうち、休み時間も使って活動するようになっていきます。
 優れた考え浮かぶ三つの場所、三上をご存知ですか。
 馬上・枕上・厠上です。
 制約された場所が、逆に、自由な思考を生み出すのです。
 学級開きから一ヶ月。制約なし、ルールなしの学級は、そこから生まれる自由が学級を崩していきます。
 担任が意図的にルールを決め、制約の中で子どもたちを自由にさせることで、知的な活動が生まれるのです。

(2015.4.29)