嘘を信じて幸せに

 学力研ニュース「制約から生まれる知的な活動」の制約という言葉は、岡田斗司夫『僕らの新しい道徳』(2013.8朝日新聞出版)の文章から思いつきました。

 信じられる嘘が、僕らを幸せにしてくれる。効率や合理性は大事だけど、それだけを突き詰めると誰も楽しくない社会になってしまいます。

  信じられる嘘とは、要するに「信じてみたい嘘」ということでしょう。
 本音だからといって、周りの人に不平不満を言っていいものではありません。
 自分にも適度な嘘をつきながら、今の人間関係や環境を受け入れていく方が生きやすいのです。

 たとえば、晩ご飯。個人の解放を目指してきた近代社会のあり方を是とすれば、それぞれの人が自分の好きなものをバラバラに食べ、誰も我慢しないで済むことがゴールになります。
 それは、幸せでしょうか?
 ご飯を作っているのが主婦だとしたら、彼女はきっと自分の作った食事をみんながおいしいと言って食べてほしいと願っている。これは、主婦の勝手な夢でしかありません。でも、そこにしか主婦の幸せはないし、その幸せに付き合ってあげられるのが楽しい家庭でしょう。

  学校の給食もそうです。
 普通ならば、自分に合ったメニューの食事をとりたいです。全員が同じ物を食べるのは、極論をいえば、囚人食と変わらないわけです。
 TOSSでは、給食を残させることは是となっています。私も法則化で学んでいたので、給食のとき、最初に減らしに来させています。(私自身が好き嫌いが多いせいもあります。)
「給食調理員さんが一生懸命作っているから食べ残してはいけない、というなら、 レストランではどうなのか?」
というようなことを伴先生が言ってたことがあります。
 私自身、食を強制することに抵抗はありますが、「給食調理員さんが一生懸命作ってくれてるから、食べなくちゃ」という嘘(?)を信じた方が、実はいいのかもしれません。

 今日はトンカツが食べたいなあと思っていても、お母さんが作るのは肉ジャガかもしれない。少し我慢することになっても、「お母さんが作ってくれたからおいしい」、「うちのご飯がいちばんおいしい」、そういう嘘を信じることができるなら、そっちの方がずっと素敵です。家庭が我慢し過ぎずに済むよう、お母さんは料理の腕を磨いた方がいいし、子どもたちも好き嫌いをなくした方がいい。家族全員がちょっとした努力。妥協をすれば、共通の目標ができて幸せになります。

 妥協をすれば、共通の目標ができて幸せになれるのは、学級も同じかもしれません。誰もがちょっとの努力をし合うことが必要なのではないでしょうか。

(2015.4.30)