1年が下の詩で、研究授業をされました。
音読の後、二連をノートに視写させ、一連と二連のちがいを見つけさせました。
「一連と二連の変わったところを見つけたら、赤鉛筆で丸をつけなさい。」
荒い指示です。
いきなり丸をつけさせる(しかも赤で)のではなく、数人に言わせてから、指でおさえさせ、合っていることをほめていくべきだったでしょう。
「みんながみみずならどこへはねていくかな。」
これがメイン発問ですが、これも唐突な発問でした。
二連の「ちきゅうのそとへ」ってどんなことかを深めてから、上記の発問にいくべきでした。これも例示がなく、いきなり書かせて、班で相談して、1つに決めさせていました。ステップを踏まないと、想像はふくらまないものです。
(2016.2.4)
「みんながみみずならどこへはねていくかな。」
その意見を一人一人が持っている小さな白板に書かせていました。
はやしの例会で、西井先生が白板を使ったゲーム(?)を教えてくれました。
1)1人だけ、顔をふせて、教師の出すお題を見ない。
2)教師は、残り全員にお題を出す(板書する)。例えば、「くだもの」。
3)残り全員は、自分の白板に、くだものの名前を1つ書く。(見えやすいように)
4)お題を消し、顔をふせてる子は顔をあげる。全員の白板を見えるように掲げる。
5)顔をふせてた子は、お題が何かを当てる。
このゲームでは、果物にはいろんなものがあることを全員で共有できます。一方、当てる方は、くだものの名前から、「くだもの」という総括する言い方を学ぶことができるわけです。
さて、昨日の研究授業に戻ると、白板が効果的に使えてはいませんでした。
白板の欠点は、書いたものがすぐ消せてしまうことです。
せっかく、面白い意見を書いているのに、周りの子の意見を見て、自信をなくして消してしまうのです。
ある班は、「ホテル」ばかりを書いていました。真似したのでしょう。
まずは個人作業で、自分の意見を大量に書かせることが大切なのです。
(2016.2.5)