連載3回目:授業づくりに必要な心構え「個を鍛える明確な方法」です。
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第二の心構え「個を鍛える」
「人」という漢字は、人と人とが支え合っていることを表している。
でもそうだろうか。実は、人と人とが依存し合っていないか。
もっといえば、一人は依存しきっていてもう一人が必死に支えたりしていないだろうか。
授業中の一斉指導やグループ学習には、依存する子を生み出す危険性がある。
そうならないための授業づくりの心構えの一つが「個を鍛える」である。
限定された孤独な作業が個を鍛える
個を鍛えるには、「ノートに書かせる」ことを基本にする。
ノート作業とは、自分の内面を目に見える形に残すことである。
教室には、先生ではなく、多くのクラスメイトがいる。
先生が発問を出し、クラスメイトが次々に発表していく。様々な方向から、音声の情報が飛び交うのである。
しかし、ノートに向かえば、自分の目の前には罫線やマスの入った紙面があるだけである。
カリカリカリ。耳に聞こえるのは、クラスメイトがノートに書く音だけになる。
こうした限定した孤独な作業こそが、その子自信を高めてくれるのだ。
発問指示とノート作業のくり返し
三年生で図書館に見学に行った。図書館の使い方を紙芝居で教えてもらい、図書館内を案内してもらった。私は許可をいただき、図書館内をビデオにおさめていった。
次の日、ノートを開かせ、次の発問指示を出した。
「図書館にあったものをノートに書きます。先生はビデオを撮っていますから、みんなの書いていないものが出てきたら先生の勝ちです。」
五個書けた子から、板書させていった。
ノートに書いたものを板書させることで、子ども自身の意見が全体の場にさらされるわけである。板書が埋まる中で、クラスメイトが書いてないものを見つけようと、子どもたちは自分の記憶を探っていく。
発表の後、撮影したビデオを見せ、出てなかった物を見つけさせ、それもノートに書かせていく。常にノートに書かせることで、個を鍛えていくのである。
あいまいな発問指示では鍛えられない
「図書館って何だろう。」
「なんで図書館は無料なのかな。」
みたいなあいまいな発問には、発言の得意な子のあいまいな思いつきしか生まれてこない。
そこに個の成長は生まれない。
『AERA2016.10.31』の「プログラミング思考で会議も変わる」という記事が面白い。
「プログラミングから得られる考え方」は、実生活の問題解決にも生かすことができます。「家事の分担を巡って、夫といつもケンカになる」というトラブルも、解決のヒントはありますよ。
まず必要なのは、家事の「構成要素」を切り出すことです。何か解決したい問題があったとき、それを構成要素に分解する作業は、実際のプログラミングでも重要なステップです。「明確な指示を順序よく」出すためには、やるべきことの全体像が見えていなければなりません。コンピューターはあいまいな指示では正しく動きませんから。
子どもはコンピューターではないが、 個を鍛えるには、教師の明確な発問と指示が必要なのである。
明確な発問指示で個を鍛える
「図書館ではどんな人が働いているでしょうか。~している人と書きます。」
「図書館で働いている人は、給料をもらっているでしょうか。
もらってるなら○、もらってないなら×を書いて、その理由も書きましょう。」
明確な発問と指示は、ノートにどう書くかを意識するといい。
・本を貸している人。
・本を運んでいる人。
・読み聞かせをしている人。
書く形式を示すと、学力低位な子も何とか書ける場合が多い。
ノートに書かせる前に、挙手指名で数人に発表させ、見本を示してもいいだろう。
鍛えるならば厳しいのは当たり前
「図書館で働く人は給料をもらっています。では、そのお金はどこから出るのでしょうか。その答えが、教科書の中に書かれています。一つでも見つけたら、立ちます。始め。」
教科書や資料から、問いの答えを見つけ出させることも個を鍛えるのに有効である。
見つけた子から立たせ、
「一番。」「二番。」
というように十番ぐらいまで順位をつけていく。
十番以内に入れるようにがんばる子も出てくる。
一方で、
「一つでも見つけた子は座ります。まだ一つも見つけてない子は立ちなさい。」
と詰める場合もある。
できている子とできてない子を明確にさせることは厳しいようだが、個を鍛えるには必要なのである。
個を鍛えることが国の力となる
個を鍛える上で、教師自身の個を鍛えていく必要がある。
子どもたちに書くことを要求するならば、教師自身が自分の実践を書くことを課していかなければいけない。
教育書を読み、講座に参加していても、そこから学んだことを実践に活かしたり、書くことで振り返り自分の教師力としていかないなら、自己満足でしかない。
図書館員と同じく、教師の給料も税金によって払われている。
教育によって個を鍛えることが、国の力となることを期待されているからである。
(2016.11.12)