「情報を取りまく問題」の授業プランです。
1)「情報は取り扱いによっては問題になることもあります。どんな問題になるのでしょうか。」
2)板書:情報を取りまく問題
3)「例えば、どんな問題がありますか。」
4)・その情報がうその場合があります。
5)「なるほど、そうだね。その情報とは、例えば何ですか。」
6)・ネットの情報です。
7)板書:・ネットの情報にうそがある。
8)「ほかにも、情報を取りまく問題を見つけて、ノートに箇条書きしていきましょう。」
9)子どもたちは、教科書や資料集を参考にしながら書いていく。
10)ノートに5つ書けた子は教師に見せ、1つ板書していく。
11)数分後、板書していない子→板書している子の順で発表させていく。(板書している子の発表には、質問したりコメントしたりしていく。)
12)「ところで情報はなぜ情けに報いると書くのでしょうか。」
13)思いつく子に挙手指名で発表させる。
14)板書:information
15)「読める人?」
16)・インフォメーション。
17)「この言葉を日本語で初めて情報と翻訳したのは、明治時代の大作家、森鷗外だといわれています。」
18)板書:森鷗外
19)「この人は小説家として有名ですが、東大医学部で学びドイツに留学して陸軍のお医者さんにもなりました。なぜ、森鴎外はインフォメーションを情報と翻訳したのでしょうか。」
20)・情報は、情けを持って伝えることが大切だと思ったから。
21)「さて、情報には送る側と受け取る側があります。では、情報を送る側と受け取る側、どちら側の責任が重いでしょうか。送る側か受け取る側か、どちらかを選んでその理由も書いていきましょう。」
22)どちらを選んだかを挙手によって明確にしてから、理由を発表させていく。
23)「江戸時代から明治時代にかけて、脚気という病気が流行っていました。脚気になると、末端の神経がしびれ、心臓の機能が弱り、死ぬこともあります。日本がロシアと戦った日露戦争のとき、軍人の約25万人が脚気になりました。そのとき、軍医だった森鷗外はどうしたと思いますか。」
24)・脚気を治す方法を見つけようとした。
25)「森鷗外は、脚気の原因は細菌によるものだと考えました。伝染病だと考えたのです。あるとき、米のご飯ではなく、麦飯を食べると脚気が治るという情報が、鷗外の元に届きました。鷗外は、どうしたと思いますか。」
26)・麦飯に変えた。
27)「麦飯が脚気にいいという情報を鷗外は無視し、バカにして、取り合いませんでした。その後、約2万5千人の軍人が脚気が原因で死んだそうです。」
28)感想を聞くと、鷗外を非難する子も出るだろう。
29)「鷗外は、細菌説を信じていました。人は自分が信じるものがあると、たとえ正しい情報であっても、ねじ曲げてとらえることがあるのです。みなさんは、情報受け取る側として、自分に都合のいい情報だけを受け取っていないかを考える必要があるのです。」
この授業のマルチ発問は「情報を取りまく問題には何があるか」で、セレクト発問が「情報を送る側と受け取る側では、どちらの責任が重いか。」です。
セレクト発問では、情報を送る側の責任が重いと考える子が多いと予想できます。それゆえ、私は情報を受け取る側の責任みたいなものを取り上げたのです。
このセレクト発問は、谷和樹先生の信託での発問「頼む人と頼まれる人、責任が重いのはどちらか」を真似しています。
森鷗外と脚気に関することは、二十数年前に読んだ板倉聖宣『模倣の時代』(1988.3仮説社)で読みました。昔の学びが今の授業につながっていきます。
(2017.1.2)