ごんのクライマックスはどこか

 高槻市立日吉台小学校の向井淳子先生の4年国語「ごんぎつね」の授業を観てきました。向井先生とは20年ほど前、淀川部屋サークルで一緒に学び合っていました。今でもTOSSサークルに入ってがんばり続けてられる方です。
 授業は、やはり素晴らしかったです。

1)子どもたちの音読は、張りのある大きな声でした。
2)場面は、1人→全体→1人→全体の交代読みをした。(1人は固定。)
3)これまでのつぐないを確認する。
4)今日は、第6場面の山場を扱い、クライマックスがどこかを探す。
5)視点がごんから兵十になっていることを一文ずつ音読させて確認していく。
6)「ごんは、ばたりとたおれました。」兵十はどう思ったかを発表。
7)・ようし、やった。 ・死んだか。 ・うなぎをぬすんだごんきつねをたおした。
8)かけよってきた兵十は最初に、うちの中を見た「いたずらされた」かを確認した。
9)土間にある固めたくりを見て、兵十の気持ちがガラッと変わった。
10)対人物兵十のクライマックスは、土間のくりを見たとき。
11)では、中心人物のごんのクライマックスは、どこか。
 A ごんは、うちのうら口からこっそり中へ入りました。
 B「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」
 Cごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
12)Aの主張は、今までは家の中まで、くりを置きにいかなかったから。
 BとCの主張は、兵十につぐないが自分だと分かってもらえたから。
13)教師(向井先生)の解釈を話す前に、授業は時間切れ。
14)討議会の話によると、向井先生は、Cだと考えているようだ。

 今まで、クライマックスがどこかを私は検討したことがありません。
 今回、あえて6場面で探してみるなら、「兵十はかけよってきました」だと、私は考えます。
 以前にも書いたのですが、「兵十はかけよってきました」は、おかしな文章です。ここまで兵十の視点で書かれた文だったのに、この一文だけ、ごんの視点になり、そしてすぐに、兵十視点の文に変わるのです。
 授業の中でもあったように、兵十はごんにかけよっていったわけではなく、うちの中がいたずらされてないかを確認に来たのです。
 でも、その行為をごんは「かけよってきた」と解釈したわけです。
 それは1場面で、ごんが兵十のうなぎを盗んだときに、「兵十は追っかけては来ませんでした」とは、対極の表現といえます。
 ごんが兵十の家の中までくりを置きに行ったのは、無意識的に兵十と近付きたいという思いの表れです。それが打たれて、兵十がかけよってきた瞬間に、その思いに気付いたわけです。

(2017.2.3)