『国語教育 2017年2月号』(明治図書)に載っている堀裕嗣氏の主張は、以下の通りです。
国語科の授業開きは一般に、詩やコミュニケーションゲーム等を題材にゆるやか(ヽヽヽヽ)に(ヽ)始めようと考える人が多い。生徒たちが抵抗を抱かないように、楽しく授業開きをしようという発想なのだと思う。それもわからなくはない。しかし、そうしたゆるやかな授業で始めたとしても、次の教材では本格的な授業を展開しなければならない。説明的文章であろうと文学的文章であろうと作文であろうとスピーチであろうと、いずれにしても生徒たちが抵抗を抱く(ヽヽヽヽヽ)授業はすぐにやってくる。その時間とゆるやかに始めた授業開きとの間には必ず溝が生まれる。それならばだれもがやる気をもっている最初の一時間目から本格的に初めてしまったほうが良い。
ゆるやかに始めることは、易から難へのステップを意識していることなので、まちがったこととは思いません。ただ、本格的に始めることが「難」だともいえないのです。
その代わり、授業開き単元では、教師が求めた課題については生徒たち全員を越えさせる。
本格的な学びを全員に習得させる、ということです。「全員に」があるからこそ、ゆるやかではなくて本格的な授業をやっていいのです。
(2017.3.6)