最近、堀裕嗣氏の論文を読んでから、説明文の授業の仕方を見直すべきだと考えています。まずは、「説明的文章の三つの下位区分」『国語教育2003年2月号』(明治図書)より、説明的文章の三つとは何かを紹介します。
(1)説明文… 題材について熟知している筆者が、題材について知識を持たない読者に対して説明する文章。主目的は「知識情報の伝達」である。
(2)記録文… 題材となる事象・事件について調査した筆者が、時間的な順次性に従って報告する文章。主目的は「過程情報の伝達」である。
(3)論説文… 読者に伝えようとする主張を持っている筆者が、題材となる事柄を通して自らの見解を論理的に主張する文章。主目的は「主張の伝達」で ある。
小学校の教科書で出てくる多くは、説明文なのでしょう。それを教師は、論説文のように扱って授業していると、堀氏は主張します。
説明的文章と言えば、最もポピュラーな指導法は、いわゆる「構成の指導」であり「要約の指導」であろう。両者とも、筆者の主張を捉えるための基礎力を培う必須の指導とされている。しかし、これらは実は「論説文」にそこふさわしい指導法であって、「説明文」や「記録文」には機能しづらい指導法である。なぜなら「説明文」や「記録文」には、構成を押さえて要約すべき筆者の主張自体が本文中に存在しない場合が多いからである。
授業の中で、説明文で文章構成図を作ったり、要約をしたりしていました。でも、それは活動の価値は薄い、と堀氏は主張するわけです。
説明文なら説明されている題材そのものを読み取り、記録文なら報告されている過程そのものを読み取るべきだと、いうのです。
『新しい国語五』(平成27年度版、東京書籍)で、最初に出てくる説明文は、増井光子の「動物の体と気候」です。
東京書籍は、この説明文の扱い方として、「筆者の考えをまとめて伝え合おう」とあり、「文章の構成を考えながら、要旨をとらえる。」と書いています。
堀氏流にいえば、活動の価値の薄い活動を推奨しているわけです。
文章構成図や要約や要旨を見つけ出すことをしないで、この説明文を扱うとするなら、この説明文の「情報を的確に読み取り、分かりやすく出力する」ことになるでしょう。
読み取るだけなら個人の学びで完結するので、学級で学ぶ以上、読み取った情報を分かりやすく出力させ、その表現が的確かで評価することとなります。
「動物の体と気候との間のおもしろい関係を見つけて、それを分かりやすく書き出してみよう。」
動物の体には「体形」「体格」「毛皮」の3つがあり、気候には「暑い所」「寒い所」があるわけです。(だいぶと授業の展開が見えてきました。)
(2017.3.19)