講座に来ることは危険なこと

 昨日の学級びらき講座・全体講演の久保先生のお話をメモしました。

1)新任の先生へ①がんばりすぎてへばるのはダメ。
       ②講座に来るのは危険なこと。(周りに合わせるのが大事。)
       ③1人の先生を真似て決まった通りにやるのがいい。
2)『教育技術』(小学館)は、文科相の考えと民間の実践と両方載っている。
3)アクティブ・ラーニングの反省:教師の関わり率が減っている。
4)1日目学級びらきの国語と算数の授業をする。→学習の足跡を残す。
5)「今度の先生、どうやった?」→面白い先生でなく、本職で親の信頼を獲得する。
6)書くのには忍耐がある。だから、子どもを変えることができる。
7)口ではダメ。物的証拠(ノート)がいる。
8)公私の区別が大切。「遊び時間は好きな人と遊びなさい。」
 授業時間は公的な場、となりの子・班の子と協力しなければいけない。
9)トラブルを未然に防ぐ、抑止する。安全・安心を与える。それが教師の役目。
10)ムダな生徒指導をしない。泳がす、流す、忘れる。
11)特別な子には特別なニーズがある。
12)指導方針が決まってないのに、対応にがむしゃらにならない。一斉授業が優先。
13)教えれば教えるほど、学力差は拡がるもの。
14)プリントは、できない子を見つけて、個別指導をするため。
15)漢ド・計ド地獄。努力の跡ではあるから成果の跡ではない。
16)教育的効率を考える。教師は努力しないで、子どもが努力する。
17)頼りになるのはお隣りさんの活動は、成果があって、楽しいことをする。
  負のことを課題にしない。(点検や評価をさせない。)

 新任の先生が数人参加していたので、その人たちに合わせて、久保先生は話をされたのでしょう。
「講座に来るのは危険なこと」というのが、確かにその通りです。学校現場の外に正しいと思うことを見つけ、その正しさを職場で通そうとすると、どうしても破綻が生じます。
 学校には、その学校独自の正しさがあって、それは一朝一夕でできたものではありません。
 客観的に見るとおかしいと思えることでも、それなりの理由があるのです。
 それは、学級の子どもたちも同じです。
 それぞれの別の家庭に育ってきた子たちですから、価値観が違うのは当たり前なのです。
 学校とは、学ぶということを前提にしているから成り立っているだけともいえます。会社であれば利益を前提とし、サークルであれば同じ目的を前提としているのです。そこを忘れないようにしたい。

(2017.4.2)