予習が学校教育に必要か

 今日、久保齋先生の出版記念講演会がありました。
 久保先生10冊目となる『予習展開による国語科授業づくり』(2017.4小学館)が出版された記念の講演会です。
 授業で扱う中心課題を子どもたちに予習させておくことで、エンジンのかかりの遅いD群の子たちも巻き込んだ授業ができる、という提案です。
 確かに、納得できる論でした。
 ただ、予習というのは、家庭でやってくることが前提になっています。
 家庭環境によっては、家庭で学習ができない場合もあります。
 私としては、予習や宿題は補助的なものであり、授業の中で何とかしたいという思いがあります。
 マルチ発問で、全員発言させ、内部情報を高めることも、予習により子ども間の格差を縮めることも、似た思想であるともいえます。
 社会人であれば、新しい仕事に取り組むとき、予習していきます。
 でも、それは収入を得るために必要な行為といえます。
 学校教育の場で、予習が根付くことは、そうとう大変ではないかと思えます。
 それでも、久保先生の提案は、教育的効果が高く、学問の場として、必要なことなのでしょう。

(2017.4.22)