明日の授業に課題を持つこと

『予習展開による国語科授業づくり』(2017.4小学館)より。

 1年生からでも予習は可能です。予習というのは課題をもたせて、何かをさせるということなのです。先生方は音読を宿題に出されているでしょう。先生方の音読の宿題では何の目的もない。読めば、おしまいの音読です。でも、子どもたちに次のように言って、音読を宿題に出せば予習になるのです。
「『おむすび ころりん』(1年)を3回大きな声で読んできてね。おむすびはいくつ穴に落ちたのでしょう?」
 こう言ってやれば、子どもたちは音読しながら考えます。音読に目的が生まれます。人間の意識は多重構造です。音読は音読だけなんてことはありません。音読しながらも自然に考えることができるのです。
 こんな予習を出すと、国語の授業が始まる前に、子どもたちはこの予習のことで勝手に盛り上がっています。
 多くの子は「二つだ」と言い張るでしょう。でも、仲には「一つ」と言う子もいます。「転がって落ちたのは一つ、おじいさんが落としたのが一つ」というのがその子の主張です。
 いずれにしろ、予習の第一歩は、明日の授業に課題をもつということ。その初めの一歩は、教師が課題を与えておくということです。そして、学年が進むにつれ、いつしか明日の授業に対して自分で予習課題を見つけていく子どもたちに育っていくのです。

 何もノートに書かせることだけが予習ではないわけです。
 事前に、明日の授業の課題を知らせておけば、その課題について、子どもたちは別のことをしながらも考えるわけです。
 それでも、「ノートに言語化することが大切だ」と、久保先生は言っています。
 上記の引用は、1年生の予習について書いたものだからです。
 ノートに書かせるときも「300字程度で書きなさい」と、量を求めるそうです。
 そうすることで、子どもたちの論理力が鍛えられていくそうです。
 マルチ発問も、「できるだけたくさん書きなさい」と、量を求めます。
 1つでいいなら、A群、B群の子は、1つ書いて、あとは暇になってしまいます。「できるだけ多く」だからこそ、A群、B群の子たちも鍛えられ、その時間の中で、C群、D群の子は、2個や3個は書けるようになっていくわけです。
「人間の意識は重層構造です」と、久保先生の文章にありました。
 久保先生は、講座の中でふざけたこともいいながら、いきなり「重層構造」や「フロム」「マカレンコ」などの教育者の名前を挙げたりします。
 はったりに近いところもあるのですが、自分の語ることをより深い意味や意義に落とし込むことができるわけです。
 その点を真似していきたいと思っています。

(2017.4.23)