『新しい国語五』(平成27年度版、東京書籍)に、「文の組み立てに気をつけよう」があります。
①姉が楽しそうに走る弟をながめる。 ②父は母と弟を駅まで送った。
この2文は、2つ意味に取れてしまいます。
例えば、①の文は、「姉が楽しそうに、走る弟をながめる」ともとれるし、「楽しそうに走る弟を姉がながめる」ともとれます。
これらの文のおかしさに気付くには、これまで習った主語・述語・修飾語を使えばいいのです。(でも教科書には、その言葉が一言も出てきません。)
まずは、文節で分けます。
①姉が 楽しそうに 走る 弟を ながめる。
述語は文末にある「ながめる」、誰がながめているかとえいば、これは「姉が」しかないので、これが主語になります。
残りの3つは全て修飾語なので、どの言葉がどの言葉を修飾しているかを見ていきます。
修飾語は必ず、下にある言葉を修飾します。「走る」が「ながめる」を修飾するのはおかしいので、「弟を」を修飾します。「弟を」が修飾できるのは「ながめる」だけしかありません。
問題なのは、「楽しそうに」がどの言葉を修飾するかです。「楽しそうに」の下には、「走る」「弟が」「ながめる」の3つがあります。
「楽しそうに」は「弟が」を修飾できません。
でも、「楽しそうに走る」も「楽しそうにながめる」はどちらも修飾できます。
それゆえ、「姉が楽しそうに走る弟をながめる。」は、誤解を招く文であり、「文の組み立てに気をつけよう」ということになります。
②の文も、文節に分ける→述語・主語を見つける→修飾の関係を調べるをしてみましょう。
②父は 母と 弟を 駅まで 送った。
「送った」が述語、「父は」が主語。
「弟を」「駅まで」は「送った」を修飾。
ただ、「母と」は「弟を」と「送った」のどちらも修飾できます。
「母と弟を駅まで父は送った。」と「弟を父は母と駅まで送った。」の2通りの捉え方ができるわけです。
これが、「父はりんごとみかんを買った。」なら、間違えようがないのですが。
でも、「りんご」という歌手もいたので、「父はりんごという歌手と一緒に、みかんを買った。」ともとれないこともないのです。
どちらにしても、主語と述語を近づけるとか、読点を打つとかして、誤解のないような文に組み立てることが大切なのです。
(2017.9.7)