事実か意見かの見分け方

『国語五 銀河』(平成27年度版、光村図書)に、下村健一「想像力のスイッチを入れよう」という説明文(論説文)があります。
 教科書に書き込まれためあては、「事例と意見の関係をおさえて、自分の考えをまとめよう」です。
 要するに、それが事例なのか意見なのかを見極めなさい、ということです。

 次のような報道を例に、具体的に考えてみよう。

 サッカーの人気チームで監督が辞任することになり、Aさんが新しい監督になるのではないかと注目が集まっている。

 ここで、まず大切なのは、メディアが伝えた情報について、冷静に見直すことである。この報道の中で、
「Aさんは、報道陣をさけるためか、うら口からにげるように出ていきました。」
というレポートがあったとする。これを聞くと、あなたは、Aさんが何かをかくしているように思わないだろうか。しかし、うら口から出たのは、その方向に行く必要があったからかもしれない。こう想像してみると、「報道陣をさけるためか」というのは、レポーターがいだいた印象にすぎない可能性がある。また、急がなければならない理由があったのかもしれないから、「にげるように」も印象だろう。このように、想像力を働かせながら、一つ一つの言葉について、『事実かな、印象かな。』と考えてみることが大切である。このレポートから、印象が混じっている可能性のある表現を取りのぞくと、結局、確かな事実として残るのは、「Aさんは/うら口から/出ていきました」という言葉だけになる。ここには、Aさんが次の監督になると判断する材料は何もない。

「Aさんは、報道陣をさけるためか、うら口からにげるように出ていきました。」
 この文の述語は「出ていきました」であり、主語は「Aさんは」です。
「Aさんは」と個人を限定しているので、主語の大きさは大丈夫です。
 述語の「出ていきました」は事実といえるでしょう。
 では、修飾語の「うら口から」はどうでしょう。
 この「うら口」という言葉にも、「うらから出た」ともとれ、「後ろめたいことがあるのでは」という印象を与えます。
 本当にそこは「うら口」だったのでしょうか。いつも、その「うら口から」帰っているのかもしれません。
 さて、上記の文を主語に対応する別の動詞を探してみます。
「Aさんは、さける。」「Aさんは、にげる。」があります。
「さける」は「さけるためか」と書いていますので、事実とはいえません。
「にげる」も「にげるように」と「~ように」がついているので、事実とはいえません。
 一つ一つの言葉を吟味することで、事実と意見を分けることができるのです。

(2017.9.20)