烏賀陽(うがや)弘道(ひろみち)『フェイクニュースの見分け方』(2017.6新潮社)より。
主語が明示されていない文章は疑う
1980年代、私が大学を卒業して新聞記者として働き始めたとき、上司(デスク)に厳命されたことがある。「記事では、主語が何かわからない文章を絶対に書くな」だった。その悪例のひとつとして「~れる」「~られる」で終わる「受身形」を使ってはいけないと厳しく命じられた。うっかり、そういう文章を記事に書いて出すと、ズタズタに直されて、ボロクソに叱られた。
主語が明示されていない文章として、次のものが例示されています。
1)党内では『馬淵氏は、決選投票での『海江田氏支持』を条件に小沢グループから推薦人を借りていたのではないか』との憶測も流れた。
2)そもそも、小沢グループは代表選で『誤算』続きだったとの指摘もある。
3)小沢元代表は『自らを巡る党内対立が浮かび上がると、厳しい戦いになる』と予想していたからだとされる。
まだあるのですが、どの文章も政治がらみなので、授業で紹介する文章としては扱いづらいです。(今回は、一番スッキリしている2の文を使いました。)
ともかく、主語が明示されてないということは、そもそも誰が言ったか分からないということです。そんな無責任な文を信じるわけにはいきません。
(2017.9.26)