手を抜く、やる気がなくてもやる

 和田秀樹『「あとでやろう」と考えて「いつまでも」しない人へ~「のろま」でなくなる仕事術~』(2003/12全日出版)より。

手を抜いていいところで手を抜くのは悪いことではありません。一番困るのは、手を抜いてはいけないところで手を抜くことです。
 欠陥建築を例にとれば、基礎工事で手を抜いてしまうと、あとからどんなにがんばったところで取り返しがつきません。

  読み・書き・計算は、教育でいうところの基礎ですから、手を抜いてはいけないところです。一方、運動会や学習発表会の練習は、逆に手を抜いていいところなのです。今の学校は、それが逆転していますね。

 精神医学の立場からいうと、なにかをするのが嫌だ、不愉快だ、うっとうしいと思うことは、思考の自由ですから本人の勝手です。しかし、思うことと行動とは別ものです。行動には現実の結果が伴いますから、行動は勝手というわけにはいきません。

 学力研では、快適な情動を伴った学習の大切さを主張しています。要するに、やる気に満ちた状態で学習に向かう方がいいというわけです。
 もちろん、それは理想ですが、面白いゲームやテレビ(ネット)がある現代では、楽しくなくてもやる気が出なくても、学習はさせないといけないのです。

(2017.10.22)