中沢正雄『小学校基本的文法事項の指導』(1979.7明治図書)より。
文型は、日常の生活の中で模倣して使っている間に、あるいは国語科の学習によって、感覚的に身につく。ある事実、ある考えを、示したり、伝えたり、表したりする場合、いつも同じ文型を使っていると、それと異なった文型に出会うと、違和感を覚えるようになる。何を表そうとしているのか理解がなだらかにできないで不安感を抱くようになる。このように、正しい文型を正しいと感じ、正しくない文型に違和感を覚えるようになったとき、文法感覚が育てられたと考えられる。
古い本(絶版)ですが上記の「文法感覚」という言葉になるほどと思いました。
例えば、「なだらかにできないで」という表現に、違和感を覚えました。ただ「なだらか」には、「平穏な状態であるさま」とあるので、違和感と逆の状態なので、正しい使い方のようです。でも、現代の人は、「なだらかにできない」とは言わないでしょう。
このように、文法感覚は、日頃の言語環境によって形成されます。
生活環境が劣悪であれば、当然、言語環境も不適切であると想定されます。
それゆえ、文法感覚だけに頼っていては、正しい文法、もしくは言葉づかい、作文力がつくとは限らないわけです。
学校教育で、文法を扱う意義は、そこにあるのでしょう。
(2017.11.14)