宇佐美 寛『教師の文章』(2017.11さくら社)で、要約文が重要な文であるという主張の可笑しさを宇佐美氏が書いている。
文章はそれ自体に「柱」が有ったり重要で面白い文が有ったりすると信じているのは「唯文(﹅)論」的誤りである。
文章がコミュニケーションであるという基本的事実がわかっていないのである。
百貨店にある商品は、それ自体で商品の価値の上下関係が定まっているのではない。客が欲する品は価値があり重要と見なされるのである。
文章も商品である。解釈者との間柄によって、どの部分が重要と見なされるかは変わる。
文章を読むのは、読者であって、その読者の経験や価値観によって、文章のどの部分が重要になるかは違ってくるわけです。
当たり前といえば、当たり前です。
ただ、これまで説明文を扱うときは、文章の中の重要な言葉(キーワード)を見つけ、そのキーワードで要約する、ということをやってきました。
そのやり方自体の疑義を唱えているのが、宇佐美氏なのです。
とはいっても、説明文を授業の中で扱う教師としては、どの文章も読者次第で重要度が決まるとしてしまうわけにもいきません。難しいところです。
(2017.11.19)