高学年特化セミナーの各講座の資料の扉に、偉人の言葉を載せています。
なぜ、その言葉を選んだのかを思い出しなが書いてみます。
講座1 学級を安定化させる国語授業の組み立て方
フリードリヒ・ニーチェ
「風景の中にあるしっかりと安定した線が、人間の内面に落ち着きや充足、安堵や 深い信頼というものを与えてくれる。」
教師による縦糸がしっかりしているからこそ、子ども同士の横糸が安定したものとなり、安定した学級(布)になるのです。教師による縦糸の一つが、国語の授業です。なぜ、国語なのか。すべての授業が、言葉を通して行われるからです。
言葉を正しく使いこなす力(国語力)があってこそ、あらゆる授業が安定し、学級も安定すると私は考えているのです。
講座2 行事指導を支える授業のあり方
安田善次郎(安田財閥の創設者)
「何を志すにしろ、順序正しく進むことが一番である。これを無視すると、いわゆ る豪傑肌におちいり、大言壮語をこととし、日常の些事をかえりみなくなる。日 常の些事を大切にしないで、どうして物事が成就するのだろう。」
授業を日常の些事と呼ぶのは抵抗があります。でも、日常の授業を大切にすることが行事より優先されることを分かってほしいのです。
講座4 高学年の理科授業~忙しい担任でもできる展開・実験~
ピタゴラス
「多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい。」
理科の原理は難しいのです。なぜそうなるかを語るには膨大な時間が必要なぐらいです。難しい理屈はいいのです。実験した結果が、子どもたちに納得を生むのです。多くの言葉より、1つの実験が子どもたちを動かすのです。
講座5 ICTを使った道徳授業~教科書・副読本だけじゃつまらない~
ヴィクトール・フランクル
「そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。我々は人生に問われている 立場であり、我々が人生の答えを出さなければならないのです。」
仕方がないことですが、多くの人は、自分を中心に、もしくは人間を中心に物事を考えます。人間の考えた道徳ですから、やはり人間中心なのです。自然保護や動物愛護の考え方があっても、やはり、人間が先にあるのです。
人生の意味を問うことも、人間中心、自己本位な姿勢に私は思えます。
私が今回の講座をできるのも、私自身を通して、天が参加者に何かを伝えたいからだとも、考えることができます。
自分のために、自分が行動をしていると、私たちは錯覚しているのかもしれません。(ちょっといろいろと考えすぎてますが、まあ、雑感ですのでご容赦を。)
(2018.2.3)