頼朝が武士政権を築けたわけ

 源頼朝について調べたことを板書させました。

1)妻は北条政子。  
2)弟の義経の幼いときの名は牛若丸。
3)「いざ、鎌倉。」という言葉を戦いおこるときに言った。
4)1180年の8月に伊豆で挙兵するが、平氏方の大庭京親に敗れる。
5)征夷大将軍になった。
6)石橋山の戦いで、平氏に敗れ、ほら穴にかくれている頼朝を敵が見のがしてくれた。
7)頼朝は、平氏のように朝廷の高い位にはつかず、鎌倉に残って政治をおこなっていた。
8)14歳でとらえられて伊豆の蛭ヶ小島に流される。
9)頼朝は弟の義経らを京都にせめのぼらせ山口県の壇ノ浦で平氏をほろぼした。
10)平氏をたおし、全国にしゅご・じとうを置いて勢力を広げた。
11)1147年に生まれて1199年に、なくなった。
12)武士による新しい政治を始めた。
13)鎌倉幕府をひらいた。
14)幕府と武士は御恩と奉公という関係で強く結ばれていた。
15)頼朝が子どものころ、父が平清盛と戦って敗れた。
16)平安から鎌倉まで生きた。
17)武家政治の基礎をつくった。
18)守護も置いた。
19)壇ノ浦(山口県)で平氏をほろぼした。
20)子どもの実朝という名前は、朝廷からもらったもの。
21)源氏のかしらをする。

 だいたい教科書や資料集から調べたことを書いているので、大方は板書の中で出されます。それゆえ、最後の方にノートを持ってくる子は、板書することがなくなってしまいます。そのため、2人が板書していません。
 さて、上記21の意見の中に、次の授業の核心をつく発言がいくつかあります。
5・7・8・10・20です。
「なぜ、頼朝は武士政権を作ることができたのか。」
「なぜ、平氏は滅亡したのか。」
「源氏が3代で絶えた時、なざ鎌倉幕府は滅びなかったか。」
 これらの問い、すべての答えは1つにつながっています。
それは武士の願い(悲願)です。武士の悲願をかなえることができたから、頼朝は武士政権を作ることができ、武士の悲願に無頓着だったから平氏は滅亡し、武士の悲願をかなえてくれるなら、源氏でなくてもよかったから、北条氏の執権政治が成立したのです。
「自分の土地を持ちたい」それが武士の悲願だったのです。

(2010.6.26)