筆箱事件

 3時間目、一人の男の子が泣いていました。
「どうしたんですか。」
と声をかけても、首を振るだけで返事がないので、そのままにして、算数の授業を始めました。
 授業をしている内に泣きやんで、普通に授業に参加しました。
 次の休み時間、その子はすぐに遊びに行ってました。
 運動場で遊ぶ子ではないので、各階の廊下を見て回り、1階のろうかで友だちと遊んでるところを発見しました。そして、さきほど、泣いていた理由を聞くと、筆箱の中の鉛筆が全て折られてたそうです。
 その子の筆箱を確認しました。5本ある鉛筆が全て折れていました。
 4時間目のチャイムがなったので、その筆箱を教卓に置きながら、新出漢字4文字を子どもたちにやらせ、丸をつけていきました。いつもなら、にこやかに丸をつけるのですが、今日は少し無表情で丸をつけていきます。
「それ、○○くんの筆箱ちゃうん?」と声をかけてくるもいますが、
「そうです。」って言って、それ以上は言いません。
 全員が揃い、漢字の練習もほぼ終わったところで、机の上を全て片付けさせ、今回のことを話しました。
 このときに大切なのは、今回の事を全体の問題にすることです。
 筆箱の鉛筆が全て折られてるところを1本ずつ全員に見せました。
 その後、このことについて、どう思うかを全員に言わせていきました。
 これは、全員に言わせる必要があるのです。
 この全員の中には、実際に鉛筆を折った子もいるかもしれないからです。
 また、当事者意識を持たせるためです。
 子どもたちは、「授業で使えなくなる」「折られたらすごく嫌な気持ちになる」「もったいない」などの意見を言いました。
 私は、「これは全員に関わる問題です。」と話しました。
「机の上に置いてた筆箱を勝手にさわられ、しかも鉛筆まで折られるのでは、安心して、この部屋に物を置けなくなってしまいます。」
 みんなの安心をおびやかす大問題であることを話したのです。
 次は、自分の筆箱が被害をあうかも、という危機意識を持たせたのです。
 この時、クラスの中に鉛筆を折った子がいるはずだ、という言い方はしません。
「このクラスにいるかもしれないけど、2組の人も来ているので、このクラスの 子じゃないかもしれません。」
このクラスの中にいる、という決めつけは、教師が子どもを疑っていることになってしまいます。
 犯人を見つけることより、次の事件を防ぐことの方が大切なのです。

(2011.6.9)