井沢元彦氏の『日本史集中講義』(詳伝社2004.6.25)を買いました。
結果が原因を生み、それがまた結果を生む。歴史は点と点の繋がりで見なければならない。
と、井沢氏は言います。
今のプロの歴史学者の多くは、歴史を線ではなく点で見ているのです。それは、史料至上主義の影響によるものです。
歴史学者は一つの点だけを徹底的に学びます。
しかし、点と点をつなぐ線を誰も引かないため、歴史は点だらけのものとなってしまったのです。
そのため、歴史は暗記学習物になりはててしまったのです。
例えば、「なぜ、武士が起こったのか。」が、学校ではきちんと教えられていません。(多くの歴史学者自身がそれを分かっていないのです。)
大阪書籍の『小学社会6年上』では、次のように書かれています。
10世紀ごろ、豪族や有力な農民と都から来た役人との間で、国におさめる税をめぐる対立がはげしくなりました。また、豪族と有力な農民との間でも土地をめぐる争いがおこりました。
豪族や有力な農民は、弓矢や刀などの武器をそろえて、自分の土地を守るようになりました。そのなかで、武芸を専門とするようになった者を武士といいます。これが武士のおこりです。
この記述には、なぜ、税をめぐる対立がはげしくなったのか、書かれていません。争いぐらい、これまでも起こっているはずなのに、なぜ、このときに武士がおこったかも、あまり納得がいきません。
今回、井沢氏の本を読んで、武士がおこった理由が歴史の流れとして、見えてきました。
私なりにまとめたことを紹介します。
①坂上田村麻呂の大活躍などによって、東北地方から異民族はほぼ駆逐。異民族に対する戦争が終わる。
②平安朝政府は、軍隊を完全に廃止する。
(日本人のもつ「穢れ」を忌み嫌う性質が、軍隊を廃止に追いやる。)
③軍隊のみならず、警察もなくなる。
(本文より→軍隊はともかく、なぜ警察がないのかというと、警察は犯罪人を捕らえるときに切り殺したり、あるいは捕まえた後に処刑したりするため、軍隊と同じように穢れ仕事だと認識されたからです。)
④強盗が横行し、さまざまな野盗の群れが略奪に現れる。
この後は、井沢氏の文に譲りましょう。
治安の悪い国はどうなるのかというと、みんなが武器を持つようになります。警察も頼りにならない、自分で武器を持たなければ危なくて生活できない、ということです。
平安時代は基本的に警察すらないのです。あったとしても、非常に力が弱い、だから夜盗、強盗のような類に対抗することができない。それらに対抗するためには、自ら武器を持たなければならない。さらに武器を持っているだけではだめで、その武器を的確に、有効に使えなければいけない。つまり武器を所有して、なおかつ武術を磨かなければいけないということです。
実は、これが武士の興りなのです。
もし、今の時代でも、警察がいなかったら、誰も自分を守ってもらえません。 自分を守るために、武器がほしい、そして、それを有効に使う必要性も出てくるのは、当然でしょうね。
(2004.7.11)