緒島英二「海の光」という物語文を3年の国語で教えました。
第1時で担任が、全文通読と感想書きをさせています。今日は第2時です。
教室に入ったとたん、
「海の」と、私は言いました。すると、
「光」と、子どもたちが答えました。
「用意。」と私。あっという間の導入です。
プロローグ1を連れ読み、一人読み、教師と交代読み、隣と交代読み、一文交代読みをさせました。
ぼくのうちに、もうすぐ赤ちゃんが生まれる。お兄ちゃんになるなんて、そりゃはじめはうれしかった。でも、でも、どうしてなの?ぼくのおもちゃなんてどんどんしまわれて、子どもべやは赤ちゃんの物ばかり。
「お父さん!ねえ、お母さん。」
だれにも、ぼくの声は聞こえない。ぼくは、とうめい人間になっちゃったかな。
「誰が出てきますか。今読んだところで、誰が出てきますか。」
お父さん・お母さん・ふみや・お兄ちゃん・赤ちゃん・ぼく。
ぼく=ふみや=お兄ちゃん、ですが、ふみやという名前は後で出てきます。鬼ちゃんになるのも赤ちゃんが生まれてからなので、( )でくくりました。
赤ちゃんは、ノートに書いている人と書いていない人に分かれました。
でもまだ生まれていないので、(赤ちゃん)と( )でくくりました。
赤ちゃんがいるなら、「生まれる」ではなく「生まれた」になることをおさえておきました。
「ぼくは、本当に透明人間になったのですか。」
「なっちゃったかな」の「かな」があるから、例えだということに子どもたちは、気付いていました。
実際に弟や妹が生まれて、透明人間になったように思った子も、クラスの中にいました。その体験も語ってもりました。
はじめはうれしかったぼくが、今はうれしくないんだ、ということを確認しておきました。
プロローグ2を連れ読み・一人読み・一文交代読みさせました。
「赤ちゃんの予定日には、まだけっこうあるけど、いい子にしてれよ。おまえも、 もう小学生なんだから。それに、なんていったってお兄ちゃんになるんだからな。」
車のスピードがあがる。目の前に、青い海が広がった。
「 」は誰が言っているかを考えさせました。
「えっ、ぼくじゃないんですか。」と、私が言うと、
「ぼくが話しかけられているから違う。」という答えが子どもから出ました。
お父さんかお母さんかの2つに絞って手を挙げさせると、全員がお父さんに手をあげました。そこで、その根拠を発表させました。
「してろよ」とか「おまえも」とか「だからな」みたいな言葉遣いが男っぽいので、お父さんだという根拠にしていました。
「内のお母さんもそんな言い方するという人?」
と、私が問いかけると、結構手があがりました。
一般的には男の人の言い方だけど、女の人でも男っぽい話し方をするということもおさえておく必要があります。
でも、この会話文を言っているのがお父さんだと分かる根拠は、会話文以外にもあるのです。
それは「車のスピードがあがる。」です。
車を運転しているのは、当然お父さんでしょう。お腹の大きいお母さんが運転するのは、常識外れです。
では、お母さんは車に同乗しているのでしょうか。(プロローグ1でお母さんに呼びかけているので、出てきていると考えている子もいました。)
普通は、病院で待っていると考えます。
でも、文を根拠にすると、「車のスピードがあがる。」にあります。
お腹の大きいお母さんが同乗しているなら、車のスピードをあげることは普通ないはずです。安全運転するはずだからです。
このように、文の中に、いろんな根拠を見つけさせることが大切なのです。
(2007.7.11)