言葉は並べることで気付ける③

「海のいのち」(6年・東京書籍)のクライマックスを検討してみます。

これまで数限りなく魚を殺してきたのだが、こんな感情になったのは初めてだ。この魚をとらなければ、本当の一人前の漁師にはなれないのだと、太一は泣きそうになりながら思う。
 水の中で太一はふっとほほえみ、口から銀のあぶくを出した。もりの刃先を足の方にどけ、クエに向かってもう一度笑顔を作った。
「おとう、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」
 こう思うことによって、太一は瀬の主を殺さないですんだのだ。大魚はこの海のいのちだと思えた。

「魚を殺してきた」と書いてます。これまで、魚は「しとめる」か「つる」か「とる」という表現しかありません。この文の前に「この大魚は自分に殺されたがっているのだと太一は思ったほどだった。」があります。ここを受けて「殺してきた」が出てきたのでしょう。それでも、「殺す」の表現が出てくるのが唐突です。
「魚を殺してきた」「魚をとってきた」こう並べると、インパクトの違いがよく分かります。
 太一は言葉には出してないけれど、クエによって父を殺されたと思っているのかもしれません。それゆえに、「殺す」という表現が出てきたのでしょう。
「口から銀のあぶくを出した」と「口からあぶくを出した」の違いも検討できそうです。あぶくが銀色に見えるのはたしかにありえます。ただ、「銀の」と「あぶく」につけることで、「あぶく」を強調してるともいえます。
 ふっとほほえんだあとに、はいたあぶくには、あぶく以外の意味が込められてると考えられます。それは、クエを殺して父のかたきをうちたい、という太一の憎しみの気持ちかもしれません。
 言葉を並べてみることで、なぜ作者がその表現にしたのかを検討することができます。
 作家は、言葉を扱うプロですから、どの言葉を使うかは吟味に吟味を重ねて選んでいるはずです。
 読者の目に触れるのは、作家によって選択された言葉だけです。
「とってきた」と「殺してきた」のどっちにしようかの選択は、普通、読者の目には見えないわけです。
 別の言葉や文に置きかえて、それらと原文を比べることで、作者の迷いや吟味の跡を読者が知ることができるかもしれません。
 言葉や文の置きかえは、まず、一文字からスタートするといいでしょう。
「「前を」を「前に」すると、どうだろうか。」というように。
 それに慣れてきたら、「銀のあぶく」と「あぶく」のように、飾る言葉を抜いてみて、さらに、言葉を完全に別のものと置きかえて、比べてみるといいのです。

(2014.7.24)