燃やされた『開国兵談』

「江戸の日本橋より唐(から)、阿(お)蘭(らん)陀(だ)迄(まで)境(さかい)なしの水(すい)路(ろ)なり」
 林子平が1791年に完成させた『開国兵談』の一説です。

 海の上には万里の長城のような防壁はない。そしてその海は、日本橋から中国やオランダまでつながっている。だからこそ日本は、どこからでも攻めてこられる危険性がある──深くて荒い海が外からの侵略を防ぐと考えられていた時代にありながら、こうした事態を予見したこの言葉を、私は不朽の名言だと思います。
                             井沢元彦『攘夷と護憲[歴史比較の日本原論]』(2004.3.31徳間書店)

 日本の将来の危機を予見した林子平は、どうなったのでしょうか。
 世論を惑わすものとして版木を没収され、禁錮刑に処せられ、翌年の1792年に病死しています。最後に林子平の残した狂歌です。
「親も無し 妻無し子無し 板木無し 金も無けれど 死にたくも無し」
 まさに不遇の死です。
 これを国民主権の導入に使えないかと思っています。

 今は民主主義の時代なので、国民が政治に口を出すのは当たり前だと思っていますが、昔は「お上の御政道」という言葉があったことからもわかるように、幕府の政治に異議や疑問を唱えてはいけなかったのです。(前述書より)

 民主主義のない時代を振り返ることが民主主義を知ることにもなりそうです。

(2008.1.20)