久保先生から教えていただいた文学の読み方は、マルチ発問としてつかえるなと考えています。
本当は~なのに、…しているのはおかしい。
6年国語の「海の命」なら、「2mものクエをとったら自慢してもおかしくないのに、自慢しないのはおかしい。」「不漁の日が十日も続くと本当は心配になるはずなのに、何も変わらないのはおかしい。」というように作れます。
これらのおかしい、ということをおかしいかおかしくないかで、話し合っていくのです。ここのところはセレクト発問ともいえます。
久保先生は、「なぜって言わしたらあかん。」と言います。この点は、実は深いように思えます。
なぜを聞けば、答えはさまざま出てきます。答えが拡散してしまいます。
さらに、なぜというのは、その子の意見ではない、ということです。
「海一番のもぐり漁師の父が、水中でこときれたのはなぜですか。」
「海一番のもぐり漁師の父が、水中でこときれたのはおかしいです。」
上は質問・発問であり、そこに自分の意見はありません。でも下のは、おかしいと考えているわけです。
子どもに自分の意見を持たせて、全体で話し合うという流れがいいのです。
(2007.12.19)