母が出てくる場面と、結の場面を実際に対比してみます。
ある日、母はこんなふうに言うのだった。
「おまえが、おとうの死んだ瀬にもぐると、いつ言いだすかと思うと、わたしはおそろしくて夜もねむれないよ。おまえの心の中が見えるようで。」
太一は、あらしさえもはね返すくっ強な若者になっていたのだ。太一は、そのたくましい背中に、母の悲しみさえも背負おうとしていたのである。(P.11)
次が結の場面です。
やがて太一は村のむすめと結こんし、子供を四人育てた。男と女と二人ずつで、みんな元気でやさしい子供たちだった。母は、おだやかで満ち足りた、美しいおばあさんになった。
太一は村一番の漁師であり続けた。千びきに一ぴきしかとらないのだから、海のいのちは全く変わらない。巨大なクエを岩の穴で見かけたのにもりを打たなかったことは、もちろん太一は生がいだれにも話さなかった。(P.16)
文章を打っている内に、いくつか気づいたことがあります。「母の悲しみさえも」の「も」は、母の悲しみ以外に何を背負っているのかを考える必要があります。たぶん、それは、クエに対する憎しみみたいなものではないでしょうか。
では、子どもに書かせる形式で対比してみます。
P.11 P.16
① 母が悲しんでいる。 母はおだやかで満ち足りている。
② 太一は、母と二人きり。 太一は妻と四人の子供と母と七人。
③ 太一は母の悲しみを背負ってる。 太一母の悲しみはもう背負ってない。
④ クエへの憎しみを背負ってる。 クエへの憎しみはもうない。
⑤ 太一は若者。 太一は中年。
⑥ 父の死んだ瀬にまだ太一はもぐっていない。 父の死んだ瀬にもぐったが、そのこ とは内緒にしている。
⑦ 太一は村一番の漁師。 太一は村一番の漁師であり続けてる。
⑧ 太一は独身。 太一は結婚をした。
⑨ 太一は子供を育てたことがない。 太一は子供を育てた。
⑩ 母にとって太一は子供。 太一は父親になった。
⑪ 太一は幸せではない。 太一は幸せ。
書いてみて分かりました。そんなにたくさんの対比があるわけではありません。
こんな風に、自分でやっておかないと、数個の対比の発表で終わったかもしれません。とりあえず11個書いたことで、
「先生は、11個見つけましたよ。」と、子どもたちをあおることができます。
太一が父親になったことは、思いの外、重要なのでないかと思ってます。
太一の父とは違う生き方を見つけることで、太一は父を超えたのです。
(2011.11.19)