記録のために、1人の子の評論文を全文、打ち込んでみます。
「やまなし」の評論文
一、序論
私は、「やまなし」を読んだ、最初の感想は、この話の「クラムボン」ってなんだろう、「やまなし」ってなんだろうと思っていました。
二ひきのかにの子どもらが、「クラムボンは笑ったよ。」と何度もくり返し書いていた「クラムボン」というのが、この「やまなし」の事かなと思いました。
「やまなし」、まだ、一回しか読んでいないこの時は、「クラムボン」や「やまなし」は、何を表しているのか分からなかったけど、とても、面白くて、作者の想像したものが出てくる話だと思いました。
たくさん勉強した後の私の感想は、この話は、妹トシが死んだ話で、話の中には、トシ自身が出てきていると思いました。
例えば、「クラムボンは死んだよ。」や「クラムボンは殺されたよ。」は、トシについて書いていると思いました。だから、「クラムボン」は、不幸とか、いい意味を象徴していないんだと、思いました。
あと、「やまなし」は、そのトシがいる、天国の事だと思いました。だから、私は妹トシについてを宮沢賢治は、伝えたかったんだなと思いました。
二、題名について
次は、この話の題名、「やまなし」は、空や天国を表していると思います。なぜなら、最後の方の文には、空の事がたくさん書かれていて、いい言葉が入っている、だから、それは、天国だと思いました。でも、一つ私が疑問に思ったのは、「やまなし」が題名でなく、「クラムボン」が題名でもいいんじゃないかなと思いました。なぜなら、「五月」には「クラムボン」の事がたくさん書かれていて、「十一月」には「やまなし」の事がたくさん書かれているからです。この二つについて、「五月」と「十二月」によく書かれているという事は、「やまなし」か「クラムボン」どっちを題名にするか迷ったと、私は思いました。もし、「やまなし」が果物だったら、「クラムボン」は、まだ熟する前で、「やまなし」が熟している時の事だったら、「やまなし」が題名でも、おかしくないなと思いました。
「クラムボン」=「やまなし」というのが、この子の考えです。
なんで、こう思ったかが、不思議です。やまなしの熟する前をクラムボンというなんて、面白い発想です。
論理的には破綻しているところもあるので、話し合わせてみると、面白いかもしれませんね。(つづく)
(2011.3.22)