高田敏子の詩「水のこころ」を授業しました。
「立って1回、すわって1回読みなさい。」
この詩を最初に範読したり、一斉読してはいけません。
「一行目だけを読みます。」
列指名しました。
「水はつかめません」「水はつかめません」…「同じですね。」
こうして、読ませていくと、ずいぶんたってから、気付く子も出てきました。
「水は つかめません」
そう、1マスあけて、読むのです。
この後、1人の子に、空白を意識させて、全文読ませました。
すると、三連目になると、
「水のこころ も 人のこころ も」
と、「も」一字を開けて読むので、変であることが引き立ちました。
「この詩は三連ありますが、一番変な連は何連ですか。」「三連。」
「「も」とは、どんな意味ですか。」
これは、水のこころも人のこころも、あるものと同じだということです。
「何と同じだと言ってるのですか、ノートに漢字一文字書いて持ってきなさい。」
水が正解でしたが、「心」を書いてくる子が多く、ずいぶんたってから正解が出ました。(こういうとき、○をもらう子は喜びます。)
次に、詩の水を「水のこころ」に入れ替えて読みました。
パソコンで詩を表示してたので、「水」を「水のこころ」に打ち変えました。
「水のこころは つかめません 水のこころは すくうのです…」
(ここらへんからは、伴先生の実践の追試です。)
「水のこころを すくう」のが変です。
同じように、「人のこころを すくう」も変です。
ここで1人だけ気付きました。「すくう」は「掬う」じゃなく、「救う」であることをです。
作者は、救うことをうまく隠して表現しているのです。
(2011.9.26)
東京書籍『新しい国語 五上』に、次の詩が載っています。
水のこころ 高田 敏子
水は つかめません
水は すくうのです
指をぴったりつけて
そおっと 大切に─
水は つかめません
水は つつむのです
二つの手の中に
そおっと 大切に─
水のこころ も
人のこころ も
短い詩ですから、とにかくたくさん読ませました。
それからいきなり、「そおっと 大切に( )」と、板書し、( )に当てはまる言葉をノートに書かせたのです。
板書させてから、発表。
「詩の中から言葉を見つけているのがいい。」ということで、「すくう」と「水」を書いてる子を高く評価しました。
「他のはまちがいではないんですよ。」
そして、次は二連目の「そおっと 大切に( )」を書かせて、持ってこさせました。
「水はつつむのです」に○。
(2002.4.22)