事実で荒れたクラスと闘う

 滋賀で「荒れたクラスとの闘い」というテーマで、関西フレッシュセミナーが開催された。
 参加者140名近く。いくら向山洋一氏が来るからといって、学期初めの最初の日曜日に、これだけの人が1万円を払って、参加するのは、驚きだ。
「荒れ」というテーマが、今の時代、いかに切実かが、よくわかる。
 大賀由里子氏・桜木泰自氏・石川裕美氏・向山洋一氏、4人の講師の先生が、一貫して語られてたことがある。

1.ダメなものは、ダメという。(子どもに媚びない)
2.小さな事実で、勝負する。
3.あきらめない。

 大賀由里子氏は、荒らしてしまったクラスで起こった最初の事件から、語り始められた。
「森下くん(仮名)がぶった。」という女の子の訴え。
 大賀氏は、森下くんに、「長崎さんが、何かしたの?」
 森下くんは「長崎がにらんだ」というようなことを言う。
「でも、ぶつことはないでしょ。」と、大賀氏。
 この事件を聞いた時、私は、大賀氏のこの対応は、よくないな、と思った。
 というのも、北海道の水野正司氏が、『知学の広場』の中で、事実をのみ語る教師の負けない言葉と、言い訳を言わせない指導の大切さを書かれていたからだ。 女の子は「森下くんがぶった」と言ったが、教師はその現場を見ているわけではない。女の子の勘違いかもしれない。ウソということも可能性としてはある。 ここでは、「長崎さんがあなたにぶたれた、と言ってますが、その通りですか。」と、森下くんに、その事実をまず確認しなければいけない。
 そこで、森下くんが「だって、長崎がにらんだもの」と言い訳をしだしたら、「ぶったことは確かなんですね。」と、とにかく確認をとる。
 ここで、森下くんの言い訳を聞く必要はない。
 まずは、ぶったことを認めさせる。
 そして、森下くんが不承不承でも、ぶったことを認めたならば、
「人をぶつのはよくありません。ちょっとでも悪いと思ったら、謝りなさい。」と、要求するのである。(ここで謝らないようなら、クラス全員を巻き込んで、あやまるまで、勝負する。)
 森下くんが謝ったあと、長崎さんに「それでいいですか」と確認する。
 たいていの子は、謝られたら気が済んで、許してくれる。
 そのあと、やっと、森下くんにぶった理由を聞いてあげれば、いいのである。
 さて、大賀由里子氏は、1年間かけて、クラスを立て直していった。
 次の年、転勤して、4年生の担任となった。3年の時、荒れてたらしい。
「○○くんが、ぶった。」という以前と同じような事件が起こる。
 その時、大賀氏は次のように、ぶったと思われる子に言っている。
「□□ちゃんをぶったんですか。」
「ぶってない、押しただけ。」と○○くん。押したという事実は認めたわけだ。
「○○くんが押したから、□□さんは痛い目にあったんです。押したことを謝りなさい。」と、大賀氏は言って、○○くんに謝らせたのだ。
 ここに、大賀氏の対応の変化が読みとれる。
  
 向山洋一氏は、「荒れたクラスに向かい合うのは、私たちの選んだ仕事だ。」と、おっしゃられた。
「お医者さんは、注射1本で治る患者ばかり、見てるわけではない。」とも言われた。
 まさに、その通りだ。
 荒れたクラスだからといって、その場から逃げることは、教師という仕事を放棄するに等しいのである。
 今のクラスは、10月20日である。その次、持つクラスは荒れたクラスかも、しれない。でも、私は精一杯、立ち向かっていかねばならないのだ。

(1998.9.6)