のぞいてみる

 1組の先生が「近所の葬式のため休みます」という連絡が入りました。
 やることは、もう「おまかせ」だったので、一時間目の国語は、そのまま授業するつもりでした。
 詩は、北村蔦子さんの「かがみのそばをとおるとき」(大阪書籍)です。
 朝、少しだけ教材研究をしました。以下がその時のメモです。

   かがみのそばをとおるとき
 ここは、どこですか?(学校・病院・公民館)
すます…… そのようなことは自分に関係ないという顔をする。
      まじまなようすをする。
      気どる。
みる   子どものめんどうをみる。
     映画をみる。
     答案をみる。(たしかめる)
     切れ味をみる。(ためす)
     運勢をみる。(観察し、判断する)
     しばらくようすをみる。
   脈をみる。(しんだんする)
     いたい目をみる。
     味わってみる。(ためしに~する)

 手許に国語辞典がなかったので、職員室にあった大きな辞典で調べました。
 授業は、やはり音読から始めました。
 次に、立って前向いて1回、後ろ向いて1回、すわって1回読ませました。
 連れ読みのあと、机を話し合いの机にさせ、男・女で、1文ずつ交代読み。
 この交代読みがうまくいかない、立ってイスを入れて、みんながそろうのを待つから、テンポが遅すぎます。
 そこで、一人の女の子を呼んで、私とその子がイスにすわったり立ったりして交代でスラスラと読みました。
 そのあとは、ほんとに流れるような交代読みができました。
 次に、となりの人と交代読み。
 練習終了後、2組だけ発表させました。(拍手をもらってました。)
『ノートを開きなさい。』
 しかし、ノートを持ってる子がほとんどいませんでした。
 仕方がないので、算数のノートコピーを学年室からとってきて渡しました。
 そして、次の発問をしたのです。

 この詩の場所は、どこですか?

 全員起立をさせ、『思いついた人から、すわって書きなさい。』と追い込みました。指示だけではやり始めない子が5人はいたからです。
『書けた人は、先生に見せに来なさい。』
 どんな解でも、丸をして、板書させました。
「学校の中」「家の中」「マンション」「おふろ」などが、ほとんど。(一番多かったのは、「学校の中」でした。)
「かがみのそば」という解もありました。
 あきらかに間違いとは言えないが、私が聞きたいこととは違います。
 これは私の発問がよくないせいでしょう。(しかし修正案は浮かびません。)

 この中で、絶対違うというのを1つ選んでノートに書きなさい。

「家の中」の反対理由は、「家にそんな大きな鏡はない」というものでした。
『家に大きな鏡がある人?』と私が聞くと、10人以上の手があがりました。
「家の中」でもいいことにしました。
「かがみのそば」がおかしいというのは、その通りだと、認めました。(『先生の問い方もよくなかったです。』とも付け加えました。)
「おふろ」に対する反対意見の最初は、「おふろの出た所には大きな鏡はあるけど、おふろの中にはないから」という立派なもの。
 でも、『お風呂の中で大きな鏡を見たことがある人?』と問うと、これも少なからずの子が手をあげたのでした。
 次の反対意見の子は、「ろうかのかべのおおきなかがみ、って書いてあるから」と言いました。
『○○さんの理由は、とってもいいです。詩の中に書いてあることを理由にして発表しています。
 国語の勉強は、書いてあることをもとにしてするのですよ。』
 ろうか、とあるのに「おふろ」では、ぜったいにおかしいのです。
 次に情景を語りました。
『この詩、学校のろうかだとしましょう。学校の廊下を歩いていると、大きな鏡があります。
 その鏡のそばにきたとき、ちょっとのぞいてみます、わらってみます、おこってみます、すましてみます、
 あがりめ、さがりめ、ねこのめ、そして、知らん顔して通り過ぎます。』
 前列の子らを立たせて、後ろを向かせました。
 そして、のぞいたり、わらったり、おこったり、すましたりする顔をさせました。次に、希望者に前出てきてもらって、歩いてくる所から演技させました。他の子は、詩を読みます。これが、とても楽しかったですよ。(これで1時間。)

(1999.9.6)