昨日、大阪市の理科部高学年部会の指導案検討に行ってきました。
相変わらず、時間通り始まりません。
今回は、本番前のプレ授業の指導案検討会なのですが、そのプレ授業をする人は欠席です。
いざ指導案検討会が始まり、私が意見を出しても、結局反映されず、原案通りやってみるということになります。何しろ、1週間後にそのプレ授業があるのですから。(原案通りいくなら、検討会なんかするな、と言いたくなります。)
今回のプレ授業は、6年理科の「ものが燃えるとき」です。
研究授業でするのは、第1次の第1時です。
プレ授業では、底の切ったペットボトルの中でろうそくを燃やすという実験をさせます。ペットボトルを2つ用意し、もう1つには下に隙間を空けるわけです。 そして、ものの燃え方の違いを観察し、自分たちでいろいろな疑問を出し合おうというものです。
この授業を大きな問題点は、いきなりペットボトルとろうそくが出てくる、ということです。
理科における単元の第1時は、子どもの生活とつなげたところから、スタートするのが基本です。(物語の始まりと同じです。まずは日常の場面からスタートです。)
いきなりペットボトルとろうそくが出てくる必然がどこにもありません。
教科書は、基本に則って作られています。
例えば、啓林館の「わくわく理科6年上」。
一番最初の絵は、子どもたちが飯ごう炊さんをしている絵です。
うちわであおいでいます。
6年の子たちですから、林間で飯ごう炊さんをした経験を持っています。
まずは子どもの持っている経験を想起させています。
次に、空き缶でわりばしを燃やす実験が載っています。
空き缶の上や下に穴をあけて、どれが一番燃えるか調べる実験です。
この実験を受けて、集気瓶やろうそくを使って実験が提案されるのです。
算数と同じです。
具体物→半具体物→抽象物(?)という流れです。
それゆえ、理科の「ものが燃えるとき」の導入は自ずと決まってきます。
第一は、ものを燃やした経験を思い出させます。
それを発表させると、正しい経験もあれば、間違えた解釈をしている経験もあります。だから、科学的に調べる必要性が生まれてくるのです。
「ものをよく燃やすにはどうしたらいいですか。」
私はこの発問で、子どもの経験を引き出して、導入としたわけです。
(2006.5.13)