聴くことを要求しなくては

 録画した授業を見ていて、できてないなと思えたことがあります。
 それは、「聴く」ことです。
 話している私の方を見てないのです。
「聞く」を要求しているのであれば、私の方を見てなくても、「聞いてたよ」と言い張ることはできます。
 でも「聴く」の「聴」の中には、「目」(横向き)があります。そして「心」があります。耳と目と心で聴くわけです。
 これまで、そういう要求をしてこなかったので、子どもができてなくても仕方がありません。
 また、こちらを見て聴いている子をほめたり、こちらを見てない子に注意を促したりをすることが、私には欠けていたわけです。
「手と心で読む」を学習した後ですから、「目で聞く」「心で聞く」ということも子どもに落としやすいかもしれません。
 運動会あけの授業から、聴くことを要求していこうと思っています。
 子どもに要求するだけでなく、私自身が子どもを「見る」ではなく、「視る」もしくは「診る」ことができるように、努力していかなければなりません。
 何より一番怖いのは、見たいものしか見てないことです。

(2008.9.27)