「うらなひ」から作者論へ

「うらなひ」の授業の続きをしました。
 数回の音読後、学級通信を配り、前回の意見を読ませながら、私がコメントを入れていきました。

A「この文章は昔に作られたのかなと思った。」
荒井「どの文章から、そう思ったの?」

 子どもたちの気付きを扱うだけで、結構、詩の深いところまで探れます。
 子どもたちの意見の応対をしながら、私はパソコンとプロジェクターの設置をしていました。
 意見の発表が終わってから、簡単な問題を次々出していきました。

①話者は、男ですか、女のですか。(女)
②それはどの言葉から分かりますか。(赤い草履)→画像を見せる。
③話者は、大人ですか、子どもですか。(子ども)
④今、晴れてますか、曇ってますか。(晴れてる)→夕焼けの画像を見せる。

 ここで、小焼けとは何かを聞きました。これは誰も知りません。
「これは、大人でも知りませんよ。」
 小焼けとは、太陽が沈んだ後のうっすら赤くなった状態のことです。画像で見せました。

⑤明日の天気は何だと予想できますか。(雨)
⑥女の子は何回、草履を飛ばしましたか。(不明)
⑦一番大切な連はどれですか。

 ⑦が、この日の最終発問です。次のように意見が分かれました。
 一連…1人  二連…4人  三連…12人  四連…8人
 この後、理由を小数意見の方から指名なしで発表させました。
 その後、以前紹介したように、三連の「表 出るまで」が三・四と、それまでのリズムを壊している(破調)ので、この連が言いたい、と考える私の意見を述べました。
「明日は、作者が幸せだったか、不幸だったかを考えます。」
と、次時予告して終了しました。
 本来、作品と作者は切り離して考えるべきです。ただ、宮沢賢治の「やまなし」を分析するとき、作品だけでは分析しにくい問題がたくさんあるのです。
 作品から、作者のことを考える、そんな授業を高学年だからこそ、やってみたいです。
 となると、明日の授業では、「うらなひ」以外の金子みすずの詩を紹介して、作者の思考みたいなものを探っていく必要がありそうです。
「わたしとすずと小鳥」「大漁」にしても、否定的な詩が多いので、金子みすずを不幸な人と考える子が多く出ると思います。

(2010.9.13)