ソロ伴塾では、小泉周二の「水平線」の詩と向井去来の「岩鼻」の俳句が、模擬授業の課題となりました。
「岩鼻」の方は、全くわからなかったので、私は「水平線」の模擬授業プランを持っていきました。
岩鼻やここにも一人月の客
何人もの先生が、この俳句の授業をしていきました。
異彩を放っていたのは、奥清二郎先生です。
「ここにも赤いりんごが落ちている。」
上記の文を絵に描くよう、奥先生は指示されました。
ここで、伴先生がストップをかけました。(残り時間が足りなかったからでしょう。時間に余裕があれば、たぶん止めなかったと思います。)
「この発問一つだけでも、並々なる力をお持ちだということがわかります。」
というようなことを伴先生は言いました。
そして、奥先生の次の発問を聞かれました。
「ここにもチャンピオンに挑もうとする挑戦者がいる。」
という文が出てくるそうです。
りんごの場合の「ここにも」は、話者の視点がりんごの外にあります。
それに対して、チャンピオンに挑もうとする挑戦者は、話者自身が挑戦者である場合も考えられるわけです。
「岩鼻やここにも一人月の客」という俳句のポイントは、「ここにも」であり、「ここ」が話者自身を指している可能性が高いのです。
さて、何人かの模擬授業の後、伴先生は、次のように授業をしました。
(うろ覚えですので、言葉の細部は違っていると思います。)
「この俳句で目に見えているものを全部書きなさい。」
岩鼻・月・月の客 となります。
「絵にしなさい。」
私は丸い岩に人がすわっている絵を描きました。
でも、岩鼻というのは、岩が崖のようになっていて、上の方で、岩が鼻のよう突きだしているものなのです。
「他の月の客には、岩鼻にすわる話者が見えていますか。」
この発問が重要なのです。
他の月の客からは見えない岩鼻にすわり、「ここにも月の客がいるぞ」と話者が自慢している、そういう俳句なのです。
授業で分からなかった俳句が見えてくる、それが感動でもありました。
(2002.8.14)