小泉周二の「水平線」は、次のような詩です。
私の模擬授業のメイン発問は、
「水平線を地平線に変えて、この詩を書き換えてごらんなさい。」
というものです。
その前に、ちょっと受けもねらって、
「ノートにこの詩の水平線を絵にして描きなさい。」
と、指示しました。
10点満点で、フリーハンドの線なら0点、定規を使ってたら5点、定規を使ってノートいっぱいに線を引いていたら10点と評定したのです。
さて、伴先生の授業はどうか、というと、やっぱり奥は深いのでした。(続く)
(2002.8.15)
伴先生の発問は、私が全く思いつかなかったものです。
「この詩には、1カ所だけおかしな表現があります。○をつけなさい。」
水平線の詩を読んで、私としてはおかしい文に全く気付きませんでした。
それは、「どこまでもある」なのです。
実際は、水平線がどこまでもあるわけないのです。
「どうしてなのか、考えます。」
ということで、まずは一連の水平線を矢印で書くよう指示されました。
これは、←→ となります。
二連は、↑
↓ となります。
すると三連は、どうなるかというと、一連がX軸なら二連はY軸、そして三連はZ軸となって、ななみ方向に矢印ができるわけです。
もし四連があるとすれば、それは四次元なので、時間軸になるのです。
水平線がある いつまでもある
という詩になりそうです。
詩の授業の中で、算数のX軸やY軸が出てくるとは思いませんでした。
この後、人生において一直線にあるもの、はっきりとあるもの、どこまでもあるものをそれぞれ挙げ、作者の主張を読み取ったのでした。
(2002.8.16)